「お前、ベイカー辞めたんだって? …てことは、今、フリーってこと?」
ある晩、ぼんやりとスマホの画面を眺めていたダイキに、大学時代のゼミ仲間・稲城真斗(いなぎまさと)からLINEが届いた。
マサトは大学では公共経済学や地域経済学などの講義を熱心に受講していたが、卒業後は地元・奈良の実家に戻り、実家の農園を継いだと聞いていた。
《ああ。いろいろあって辞めた。今は…転職活動中。塾とか教育系で探してる》
と返信すると、すぐにスタンプ付きで返事がきた。
《じゃあさ、うち来ない? 冗談抜きで》
《何が?》
《いや、実家の手伝いも含めて、ちょっと滞在してくれないかなって。もちろん、気晴らし半分でいいし、休職中の休暇だと思ってさ。》
《実家の手伝い?》
《うち今、農家っていっても観光・民泊・加工・物流まで手広くやってんのよ。親父が会社作って手を広げてさ。俺、一応専務なんだけど、まじで手が足りん。ついでに言えば、最近、地元の進学校の子らがバイトに来ることもあって、教育絡みの話もちょこちょこ出ててさ》
「……教育?」
スマホ画面を見つめながら、ダイキはその言葉に微かに反応した。
これまで訪れた予備校のいくつかは、理想と現実のギャップに心が折れそうだった。
泥臭すぎるところ、上滑りな理念ばかりのところ、あるいは「空気の止まった部屋」のような教室たち。
短期間にいろいろな予備校を周りぎて頭の中の整理がついていない。
一度、東京から離れるのもいいかもしれない――。
気がつくと彼は「とりあえず、そっち行くわ。今週末」と返信していた。
数日後、奈良。
斑鳩の田園風景のなか、軽トラに揺られながら、ダイキは目を細めた。
スマホの電波も少し不安定で、都会の喧騒とは違うゆったりとした時間が流れている。
「どうだ? たまにはええやろ? 仕事っていうか、まあ気楽に構えてくれや」
横でハンドルを握るマサトが笑った。
彼の実家の農園は、想像以上にスケールが大きかった。
果樹園、加工場、民泊用の古民家改装済物件、地元の高校と提携した農業体験。物流に関しても県外の生協や都市部のスーパーとも契約があるらしい。
「……お前、ベンチャーやってるな。てか、これ完全に“農業系スタートアップ”だろ」
「いやいや、ベイカー出身のダイキ様に比べたら、俺なんてまだまだっすよ」
そんな会話をしていたときだった。
「あー、そういえばさ。今夜、ちょっと面白い人に会わせたいんだよな」
「誰?」
「うちの近所で塾やってるオヤジさん。ちょっと変わってるけど、地元じゃ名士なんよ」
「へぇ、地元の名士とかとも知り合いなんだ」
マサトはうなずく。
「医者の息子ばっか相手にしてるくせに、飯は農家で出して、勉強は自習させてる。で、毎年のように阪大とか京大の医学部に入れてんだわ。まあ、教育っちゅうか、“土地の力”で育ててるみたいな人。名前は……漆部って言ったかな」
「ウルシベ……?」
何気なく聞き流そうとした名前が、ダイキのどこかに引っかかった。
その夜、稲城の実家で夕飯をご馳走になったあと、地元の集会所で開かれる「教育座談会」に誘われ、ダイキはそこで斑鳩塾・館長、漆部(うるしべ)と出会うことになる。
それが、すべての始まりだった。
第14話へつづく