第10話からのつづき
東新宿、午後5時。
夕焼けに染まる細い路地を、ひとりの男が歩いていた。
島田タクミ──かつて“名誉総長”と呼ばれたその男は、今や肩書も居場所も失っていた。
シャツの襟は伸び、靴のかかとはすり減り、手にした紙袋の中にはスーツと、数枚の名刺だけ。
すべてが過去の遺物だった。
「あの頃は、よかったよな……」
つぶやく声に、返事はない。
日が暮れる頃。
歌舞伎町の外れ、古いビルの2階にあるスナック──「うたかた」の灯りが漏れていた。
カウンターの中に、あの女子大生・マオの姿はもうない。
聞けば、タクミがカンゾウを辞めたあと、地方の大学に編入したらしい。
今は別のアルバイトをしながら、心理学を学んでいるという噂だった。
「“あの人”に出会って、何かを学んだって言ってたわよ。……いい意味かどうかは知らないけどね」
元スタッフのそんな言葉が、なぜか耳に残る。
夜。
タクミは、新宿駅近くのマクドナルドで、ひとりアイスコーヒーを飲んでいた。
昔の教え子からLINEが来ることも、もうない。
彼のスマホには、未読の通知も、着信もなかった。
──かつて、100人以上の元教え子の名前が並んでいた連絡帳は、今や「更新のお知らせ」しか表示されない。
ふと、隣の席で、高校生たちが話しているのが耳に入った。
「さ、模試の復習やるかー」
「いや無理、俺、現代文ほんとにヤバい」
タクミは、思わず口を開いた。
「現代文か。いちばん必要なのは、因果関係の把握だぞ。語彙なんかじゃない。」
高校生たちが、一瞬だけ彼を見る。
「……誰っすか?」
「いや、ちょっと前まで予備校にいたもんでね」
その一言に、誰も反応しなかった。
タクミはコーヒーを飲み干し、そっと立ち上がる。
「かつて“先生”と呼ばれた人間なんて、そんなもんだ」
そして、その夜。
メディカルデラックスのビルの前には、再び報道陣が集まっていた。
──噂があったのだ。
「島田タクミ、今日あたり正式な会見を開くらしい」
だが、夜になっても、その姿は現れなかった。
報道陣が三々五々、帰っていく中──
一枚の紙が、風に舞って貼り紙の前に落ちた。
そこには、こう書かれていた。
「本日も、おでんです。」
筆跡は、丸く、そして、どこか切なかった。
第12話(最終話)へつづく