第6話:突然の解雇

第5話からのつづき

ゴンドウが勤務していた教材会社の名前は──
「桜教育サービス株式会社」

大学受験用の教材を制作・卸販売し、全国の中学・高校・予備校に配布している会社だった。

問題集、解説集、模擬試験セット──
とにかく分厚い紙の束を作り、それを現場に届けるのが主な業務だ。

桜教育サービスには、大小さまざまな取引先があった。

大手予備校は、自社で教材部門を持っており、ほぼ外注の必要がなかった。
だが、中堅や零細の予備校は違う。
全教科に対応できる講師が揃っているわけではないし、教材作成のノウハウもない。

「うちは、数学は強いんですけど、世界史がねぇ……」

「現代文の記述問題って、採点むずかしくて……」

そんなスキマを、桜教育サービスの教材が埋めていった。

「この現代文、うちの校長が絶賛してましたよ」

「漢文の句形集、アレは便利ですね〜」

──そんな言葉を、ゴンドウは何度も聞いた。

だが、本当に感謝されたのは──
教材のクオリティではなかった。

「ゴンドウさん、ちょっと内密の相談があって……」

そう切り出してくるのは、たいてい予備校の事務部長か、教務責任者だった。

「ウチの講師が辞めちゃいそうなんですよ。代わり、探してもらえないですかね……?」

「いま、ライバル校が生徒ごっそり持ってっちゃって。名簿……もしあれば……」

──そう。
「教材営業」という表向きの肩書は、時に「裏口」への鍵でもあったのだ。

個人情報の名簿。
講師の引き抜き。
新設予備校向けの人材リスト。
さらには──保護者向けの営業マニュアルまで。すべてが、机の下で取引されていた。

「どうせウチら、中小だもん。生き残るためには、何でもやらなきゃね」
──誰かがそう言って、苦笑した。
ゴンドウは、「教材の裏」にある「実務」の世界に、少しずつ足を踏み入れていった。

最初は戸惑いもあった。

「これって、いいのかな……?」

だが、一度覚えた旨味は、そう簡単には手放せない。

現金で渡される“紹介料”。
夜の街で使う“交際費”。
講師から「次、いいとこあったら紹介してくださいね」と頼まれる快感。

気がつけば、ゴンドウのカバンの中には──教材見本と一緒に、講師リストや生徒名簿のコピーが混ざっていた。

誰も責めなかった。
業界がそういう空気で満ちていたからだ。

ある日。
桜教育サービスの社長が、朝礼でこう言った。

「ウチは教材とともに教育情報を売ってるんだよ」

ゴンドウは、黙ってうなずいた。

──それは、真実だった。

そんなある日のことだった。
ゴンドウは、いつものように事務所でコピーを取っていた。
そこへ社長の妻がふらりと現れた。

「ゴンドウくん、手が空いてるなら、ちょっと荷物運んでくれる?」

「は、はいっ!」

以来、なぜか社長の妻からの「お使い」が増えた。

最初は封筒を届けるだけだったのが、 やがて家庭菜園の世話を頼まれたり、テレビの設置や設定を頼まれたり──

そしてある日、彼女はこう言った。

「ねえ、ゴンドウくん。あたし、あなたのそういう素直なところ、好きよ」

──その言葉が、すべての始まりだった。
だが、それはトラブルの始まりでもあった。

社長は、気づいていた。
いや、たぶん──妻の表情で、すぐに勘づいていた。

「お前……最近、俺の留守中を狙ってよく女房のところに出入りしているらしいじゃないか」

「い、いえ……そんなつもりじゃ……」

「……明日から来なくていい」

──そうして、ゴンドウは突然“クビ”になった。

しかし、ゴンドウは落ち込まなかった。
なぜなら──社長の妻は、クビになった翌日も、電話をくれたからだ。

「ねぇ、あなた、今ヒマでしょ? お昼、一緒にどう?」

その日、肩をもんであげたら、帰りに封筒を渡された。
中には、ピン札の一万円札が、三枚入っていた。

肩のリュックには、相変わらず名簿と東芝のノートパソコン。
次なる職場は──もう決まっていた。

第7話へつづく