第5話からのつづき
──大学2年の秋。
リナは、今日も静かに動画を撮っていた。
机に向かって、さらさらとノートに走らせるペンの音。
時折、カメラに向かってふわりと笑う。
(……まあ、無理せず、できる範囲で続ければいいよね)
最初は登録者10人、20人だったチャンネルが、いまでは2万人を超えていた。
コメント欄には、温かい言葉が並んでいる。
「今日も癒やされた!」
「勉強のモチベになる」
「りなリンゴ☆ちゃん、ありがとう!」
リナは、そっと笑った。
数字がすごいわけじゃない。
でも、自分の小さな世界が、少しずつ誰かに届いている──
そんな実感だけで、十分だった。
──一方、同じ頃。
新宿の高級バー『エスポワール』。
島田タクミは、水割りのグラスを片手に医者たちの談笑を聞いていた。
「最近さあ、YouTubeとか見るんだけどさ」
「娘くらいの年の子が頑張ってる動画って、なんか癒やされんだよな」
「りなリンゴ☆って子、知ってる? 医学部の」
「知ってる知ってる! 可愛いし、素朴だし、めっちゃ癒やされる!」
タクミは、ふん、と鼻で笑った。
(なんや、また最近のバカガキどもがやってる素人動画かいな)
そう思いながらも、隣の医者がスマホで見せてくる画面を覗き込む。
そこには──
小さな顔、クリクリした目、さらさらの髪。
そして、ほんの少しハスキーな声で、ノートに向かってコツコツと勉強する少女。
タクミの表情が、変わった。
(……おお……?)
スマホをぐっと引き寄せ、食い入るように画面を見る。
(これや……!)
鋭い商売嗅覚と、ギラついた下心が同時に目を覚ました。
(清楚系、天然、無防備、男ウケ抜群……!)
(しかも医学部って肩書き付き!)
タクミの脳内では、未来予想図が爆速で展開された。
(こいつを広告に使えば、半年で50人獲得、余裕や……!)
バーボンをぐいとあおり、タクミは決意した。
(よっしゃ、動くで!)
──翌夜。
新宿・飲み屋街の外れ。
擦り減った革靴で歩きながら、タクミは目当ての獲物を探していた。
(……おったな)
小汚い居酒屋に入ろうとしている、数人の専門学生グループ。
ヨレたパーカー、無地のトート。
金はなさそうだが、声だけはデカい。
タクミは、にやりと笑った。
(こういう連中が、金さえ積めば一番使いやすいんや)
タクミは彼らに近づき、声をかけた。
「おう、君ら。バイト、探してへんか?」
いきなり現れた中年男に、学生たちは驚いた顔を向けた。
「え、誰っすか?」
「スカウトっすか?」
タクミは、ポケットから何かを取り出す。
──割り箸の先に、綺麗に折りたたまれた1万円札。
「特製プレミアムおでんや。味見してみぃ」
学生たちは爆笑した。
「何これww」
「ヤバイww」
「飲み代にでもせえ」
タクミは笑いながら、さらに続けた。
「なあ──YouTubeとか、やってへんか?」
学生たちは顔を見合わせ、ひときわ派手な髪型の女の子が手を挙げた。
「やってますよ〜! ファッション系っすけど!」
「チャンネル登録者、どれくらいや?」
「3万人っす!」
タクミの目が光った。
(……おった。使える駒や)
タクミは声を潜めた。
「なあ、頼みがある。YouTuberのりなリンゴ☆、知ってるか?」
「知ってる〜!医学部の、かわいい子っすよね?」
タクミはニヤリと頷いた。
「その子に、コラボを持ちかけろや。お前のチャンネルで、服とかメイクとか、コーディネートしてやる。オシャレ医学生って路線に仕立てるんや」
「ウチの再生数も上がりそうだし……いいっすよ」
タクミは、さらにもう一本、プレミアムおでんを取り出した。
「これ、前金や。成功したら、もう一本やる」
「マジっすかww やります!」
(女で釣って男で決める──これが導線設計や)
タクミは心の中でほくそ笑んだ。
──数日後。
リナに、ファッションYouTuberからコラボの誘いが届く。
「よかったら、一緒に学校紹介っぽい動画撮らない?」
「いいですよ。楽しそうだし」
リナは、素直に返事を送った。
そこに、チャンネル登録者や再生数を増やすなどという欲や下心なんてものは、かけらもなかった。
ただ、誰かと何かを作るのが、少し楽しみだっただけだ。
──こうして。
小川リナと、島田タクミの世界は、知らないうちに、ほんの一瞬、交差した。
第7話へつづく