第18話:ズルッと、ガクッと

──高田馬場・カンゾウ、塾長室。
黄ばんだ壁紙、煙草の焦げ跡、卓上の「お〜いお茶」。

昭和の匂いが漂うその部屋に、いつもの怒声が響き渡った。

「おい、カマドウマコウジ!!」

「カデノコウジですっ!」

島田タクミは、椅子にふんぞり返ったまま、不敵に笑う。

「オレの放った”草”の情報によるとのぉ、白井はまた東大に落ちたらしいで」

「……草って、スパイ、ですか?」

「フッ、STXに通っとる女子浪人生や。たまたま居酒屋で出会ってな、毎月スペシャルおでん(割り箸に5000円札)渡して、STXの情報をペラペラしゃべってもろてたんや!」

(……それスパイって言わん……)

「今じゃ!今度こそ、囲い込め! カンゾウに呼び戻せ!!」

カデノコウジは、静かに首を振った。

「……それは無理です」

「なぜじゃ!?」

「昨日、白井くんから短いメールが来ました。『僕、早稲田に行くことにしました。ありがとうございました』って」

「な、な、なぬぅ!! お前、引き留めたんやろうな!? 今度こそ今年こそ、カンゾウで東大目指そうって引き留めたよな!?」

「いえ……多分もう無理だと思います。お母様からも報告の電話が先ほどありまして、本人の決意は固いそうです」

島田タクミ、ズルッ!!!(椅子ごとひっくり返る)

「おい、ゼニガタヘイジ!!」

「カデノコウジですっ!」

「いや、ゼニガタヘイジじゃ! ゼニじゃ、ゼニ……ああ、銭がぁ……オレの遊ぶ金がぁぁぁ……」

──渋谷・STX、鳳凰の間。

サギヤタカシは、ビル最上階からの景色を背に、豪華なソファにふんぞり返っていた。

傍にはニッポリ研二。

今日もGMUスピリチュアルなメルマガを書き終え、妙に落ち着いた顔で立っている。

「白井リョウスケ……囲い込めると思ったんだがなぁ」

「……はい、実はご報告が……」

「なんだ?」

「白井君、早稲田に進学するそうです」

サギヤ、ガクッ!!!(体育座り)

「おい、ガッカリ!!」

「ニッポリです!」

「いや、お前にはガッカリだ!!」

今年のSTX、合格者数は増えたが──
東大合格者、ゼロ。

ニッポリ信者の意識高い系は一定数残っているが、模試の成績でいえば下位層が大半。彼らはニッポリの“念”講座で満足してしまっていた。

「まぁ……あと1年だけ様子見やな」

サギヤは心の中で呟く。

(このスピリチュアル野郎も、そろそろ切り時か……)

──カンゾウ、職員室。

白髪が増えた。
胃の薬も、切れていた。

カデノコウジは、椅子に腰を下ろし、胸の奥でそっとつぶやいた。

(……うん。そうか、白井君、早稲田に進学するんだね)

(東大じゃなかったかもしれないけど……君は、前に進んだ)

(あの長い時間を、あの孤独な日々を越えて、ちゃんと──)

部屋の隅に差し込む夕日が、彼の静かな笑顔を、少しだけ照らしていた。

第19話へつづく