第9話(終):世界はもっと面白い

あれから2年。

私は今、大学生活をそれなりに楽しんでいる。
四ツ谷のあの大学にいた頃より、ずっと居心地がいい。

たしかに偏差値は低めかもしれない。
でも、それが何?って思う。

この大学の学生たちは、良くも悪くも素直だ。
無駄にマウントを取ろうとする人もいない。
偏差値で人を測るような空気もない。

それに比べて──あの四ツ谷の大学は、中途半端に偏差値が高いせいで、妙に拗らせた人種が多かった。

東大や慶應の滑り止めで「仕方なく」入学してきた「本当はもっと高い大学に受かってたはず」だと思い込んでいる人。
発音はネイティブっぽいかもしれないが、脳内は中学生な海外帰国組。

「本当は東大行けたのに」
「海外ではこうだった」
──そんな愚痴と自慢を繰り返す人たち。

あの頃の私にとって、それはただのノイズだった。

でも今の大学は違う。
大学も、教授も、どこか挑戦意欲に満ちていて、変に気取っていない。

知名度もレベルもそれほどではないからこそ、論文や就職実績でもっと上を目指そうという空気がある。
それが、なぜか清々しくて、気持ちいい。

“権威”がない、というのは、実は強みなのかもしれない。
権威があるからこそ、守りに入り、停滞し、思考停止に陥る。
最初から権威なんてない方が、自由でいい。

それなのに人は、いや個人も組織も、なぜあれほどまでに、肩書きや承認を欲しがるのか。

今も『月刊文潮』での連載は、細々と続いている。
書籍化の話も来た。
実際、一冊にまとまる予定だ。

でも、私は“著者”になりたいわけじゃない。
“作家”という肩書きには、なんの憧れもない。

そもそも「作家」って何?
お金儲けの本しか書いていないのに、自称「作家」な有名人もいるが、ノウハウ・ライターのことも、作家と呼ぶのだろうか?

それに、YouTubeやブログでちょっと人気になったくらいで「本出しました!」と誇らしげに言うインフルエンサーを見ると、私は少しだけ遠巻きに眺めてしまう。

──ああ、今が人生の晴れ舞台なんだな、って。

“著者”や“作家”を名乗ること。それ自体が悪いとは思っていない。でも、私は、そういう“承認のための著者という肩書き”が、どうにもカッコ悪く見えてしまう。

もちろん、それは私の偏見なんだろう。
でも、少なくとも私は──そういう種族にはなりたくない。

とはいえ、卒業後は稼がなきゃいけない。
だから、まずは連載をまとめた本を出す予定。
印税でしばらくは暮らしてみようと思う。

最近、大学近くのワンルームで一人暮らしを始めた。
なかなか快適だ。

でも、そこに“夢”とか“作家デビュー”とかいう幻想は一切ない。
ただ、本を出して、次へ進む。
それだけ。

NOTEや人間観察も、最近はちょっと飽きてきた。
だって、パターンが読めてきちゃったんだもん。
チマチマした人間たちの「あるある」には、もう驚きがない。

それよりも今、興味があるのは、金融だ。
大学時代からコツコツ積み立てていた海外ファンドが、気付けば結構いい額に育っていた。

ニュースを読むときも、最近は「経済」のセクションを真っ先に開くようになった。

世界情勢は目まぐるしく変化する。
明日、何が起こるかわからない。
ダイナミックで、予測不能で、まるでパターンが読めない。

あのカンゾウが倒産するくらいの時代だ。
何が起きたっておかしくない。

だけど、世界の動きから、世の中の動き、人間社会の動き、実は全部がつながっているような気もする。

今度は、大学院か、海外の大学で、経済か金融を本格的に学んでみようかな。
……また島田サンみたいな人、どこかに落ちてないかな。
「投資」って名目で、学費くらい出してくれるような。

ああ、そういえば、あの人、島田サン。
カンゾウが倒産したって噂が流れてきたとき、 最初に思い浮かんだのは、あの顔だった。

あの人──島田タクミ、今、どうしてるんだろ?

ま、あの人のことだから、きっとどこかでヘコたれず、無駄に大きな声と態度で、 誰かにまた説教でもしてるんじゃない?
それが、あの人の“デフォルト”なんだろうから。

でも私は、もう関係ない。
すでに私は「演じ終えた」のだから。

今はもう、別の場所にいる。

– 完 –

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