第6話からのつづき ──塾長室のドアを、開けるか、開けないか。 その判断に、時間がかかるようになったのは、いつからだったろう。 「……あの子、また島田先生と話してるよ」 「もしかして、お気に入りってやつ?」 そんな声が、 […]
Continue reading第6話:特別じゃない私
第5話からのつづき ──夏が始まる頃。 カンゾーの自習室は、朝から夜まで満席だった。 ハルカも例外ではなく、ほぼ毎日通い詰めていた。 「最近よく見るね、あの子」 「塾長のお気に入りらしいよ」 そんな噂が、少しずつ広がって […]
Continue reading第5話:浮かぶ影
第4話からのつづき 「広瀬さんさぁ、最近ちょっと調子いいんじゃない?」 模試の結果を見せたとき、英語のチューターがそう言った。 たしかに、点数は上がっていた。偏差値も少しずつだけど右肩上がりだった。 「ええ、まあ……」 […]
Continue reading第4話:塾長室の扉
第3話からのつづき ──それは、最初は“質問のためのノック”だった。 「失礼します。現代文の記述で……」 そんな風にドアをノックして、塾長室を訪ねるのが、次第にハルカの習慣になっていった。 島田タクミは、毎日のように塾長 […]
Continue reading第3話:勉強、好きかもしれない
第2話からのつづき ──朝、少しだけ早起きしてノートを開く。 そんな自分に、ハルカはほんの少し驚いた。 カンゾーに入塾してから一ヶ月。 生活が、変わった。 朝は軽く英単語を見てから登校。 学校の授業中も、先生の話に集中し […]
Continue reading第2話:塾長室の扉
第1話からのつづき 島田タクミ── 初めて出会ったとき、ハルカはその存在感に目を奪われた。 185センチの巨体に、響く大声。 ラガーシャツの襟を立て、胸元には金色のネックレスがちらついている。 とても大学進学塾の「長」と […]
Continue reading第1話:とりあえず、ここでやってみる
──広瀬春香(ひろせ・はるか)。 その名前が、誰かの記憶に残ったことは、たぶん一度もない。 最初に名前を呼ばれた記憶は、小学校の担任からだった。 「ヒロセさんは、いつも返事が小さいわね」 クラスがざわつく中で、その一言だ […]
Continue reading第9話(終):いつものおでん
第8話からの続き ゴールデン街の裏通り。 夜風が少しだけやわらいだ頃、ゴンドウ龍太郎は“あの店”のドアを静かに開けた。 ──スナック「うらがわ」。 かつてテレビにちょっとだけ出ていたという噂のあるママが、一人でやっている […]
Continue reading第8話:東池袋ブリーフケース
第7話からのつづき 雨がしとしと降っていた。 春の終わりと初夏の境目、街はまだコートと傘の両方を欲していた。 ゴンドウは、東池袋の交差点を渡る。 背中には例の、角ばった大きなリュック。 中には名簿の束と、東芝製のノートパ […]
Continue reading第7話:主役と脇役
第6話からのつづき 都内某所──川沿いの倉庫跡地に建てられた灰色の6階建てビル。 その最上階にある一室。 分厚いカーテン、応接セット、クリスタルの灰皿に山積みの吸い殻── 関東学力増進機構(カンゾウ)の「塾長室」だった。 […]
Continue reading第6話:突然の解雇
第5話からのつづき ゴンドウが勤務していた教材会社の名前は── 「桜教育サービス株式会社」 大学受験用の教材を制作・卸販売し、全国の中学・高校・予備校に配布している会社だった。 問題集、解説集、模擬試験セット── とにか […]
Continue reading第5話:徳富ノリコの肩もみ
第4話からのつづき 徳富典子(とくとみのりこ)── かつて、生命保険業界で「伝説」とまで呼ばれた女だった。 1年目から頭角を現し、2年連続で全国1位のセールス。 生保レディの頂点と言われていたこともあった。 ゴンドウがま […]
Continue reading第4話:名簿屋の地味な夜明け
第3話からのつづき 「……あの、企画案、これで出しておきます」 コピー用紙を3枚重ねて、上司の机に置く。 旅行代理店での5年目。 配属されたのは、国内パッケージツアーのプランニング部門だった。 地味な業務ではあったが、文 […]
Continue reading第3話:主役じゃないということ
第2話からのつづき 昭和から平成に時代が変わる直前、権藤龍太郎(ゴンドウリュウタロウ)は、旅行代理店に就職した。 業界No.6の中堅企業。 華やかさこそないが、堅実で、倒産することはなさそうな会社だった。 配属先は、本社 […]
Continue reading第2話:地味な春の光
第1話からのつづき ゴンドウの大学生活の4年間── それは、特筆すべきことが何ひとつ起こらない時間だった。 所属していたのは「会計研究会」──通称“カイケン”。 会計といっても、やっていることは簿記の演習と、月に一度の飲 […]
Continue reading第1話:平塚ブルース
本名は、権藤龍太郎(ごんどう・りゅうたろう)。 初対面でフルネームを名乗ると、たいていこう言われる。 「なんか、政治家かフィクサーみたいな名前ですね」 それもそのはず、名字は画数の多い「権藤」、名前も「龍太郎」という仰々 […]
Continue reading第12話(終):おでんの向こうにいる男
第11話からのつづき ──冬のゴールデン街。 ネオンもまばらな細い路地裏。 昭和が取り残されたようなスナックに、小さな明かりが灯っていた。 店名は「スナック・ルミ子」。 一見して普通の場末の店。 だがそのママは、かつてテ […]
Continue reading第11話:かつて「総長」と呼ばれたヒト
第10話からのつづき 東新宿、午後5時。 夕焼けに染まる細い路地を、ひとりの男が歩いていた。 島田タクミ──かつて“名誉総長”と呼ばれたその男は、今や肩書も居場所も失っていた。 シャツの襟は伸び、靴のかかとはすり減り、手 […]
Continue reading第10話:総長、沈黙す。
第9話からのつづき ゴールデン街の小さなバーに、妙な静けさがあった。 常連たちが酒を傾ける中、ただひとり、重い空気をまとって焼酎を飲んでいる男がいた。 ──島田タクミ。 “名誉総長”と呼ばれた男である。 だが今、誰もそう […]
Continue reading第9話:週刊文潮、動く
四ツ谷・麹町付近にある週刊誌『週刊文潮』編集部。 記者のヤナギは、ここ最近伸びている“あるYouTubeチャンネル”に注目していた。 チャンネル名は『ハルカちゃんねる』── 登録者数はすでに5万人を超え、「トー横キッズ系 […]
Continue reading第8話:個人情報売買
メディカルデラックス、通称「メディデラ」の一室── “名誉総長”タクミのデスクには、分厚い紙束が無造作に置かれていた。 それは、講習申し込み用紙や進路調査票、生徒アンケート、さらには模試の結果票。 保護者の職業、世帯年収 […]
Continue reading第7話:おでんギャグとキャバ手品
「名誉総長って、なんか響きがいいだろ? 総長ってだけで強そうなのに、さらに名誉までついてんだからな。最強だよ」 居酒屋のテーブルでタクミは、いつものように自慢げに言った。 誰も聞いていなかったが、タクミは気にしない。 こ […]
Continue reading第6話:名誉総長
それから半年。 タクミは教育業界から忽然と姿をくらましていた。 関東学力増進機構(カンゾウ)での傍若無人な日々も、高級天ぷらの香りも、女子大生マオの甘え声も──今はすべて、過去の残り香だった。 だが、タクミは死んではいな […]
Continue reading第5話:追放
その日も、関東学力増進機構(カンゾウ)の塾長室には、香ばしい天ぷらの匂いが充満していた。 スナック「うたかた」のテイクアウト。 もちろん、経費で落とした。 「おう、ヤマニシ。あれ、もう手配した?」 「はい、社長。コピー機 […]
Continue reading第4話:蜜月と離別
大久保の裏通りに、季節外れのおでんを出すスナックがある。 赤提灯ではない。 ネオン管の看板に「うたかた」と書かれた、どこか場末で、昭和風の洒落た店。 天ぷらが名物という変わり種だったが、真夏でも出汁の効いたおでんが美味い […]
Continue reading第3話:タクミ式マネジメント
「いいか。社員が“辞めたい”って言い出したら、“おめでとう”って言えばいいんだよ。」 タクミは社長椅子にふんぞり返りながら続ける。 「お前の人生、俺の船から降りるってんなら、せいぜい泳ぎ切ってみなってな」 関東学力増進機 […]
Continue reading第2話:肩書きと女に溺れる
島田タクミの「武器」は、電話営業だけではなかった。 もうひとつの武器──それは「肩書き」である。 タクミは自らをこう名乗っていた。 「東京大学卒。文科三類で心理学を専攻していたを専攻していた」 実際は、四国の大学中退であ […]
Continue reading第1話:栄光は誰のために
本名は島田巧(しまだたくみ)という。 だが、塾の関係者や教え子、保護者たちは誰もそうは呼ばなかった。 彼を知る者は、畏れと困惑、そしてある者は尊敬の念を込めてこう呼ぶ。 「塾長」と。 東京・山手線沿線の某所。 川沿いに建 […]
Continue reading